さそ

文章を書くのが好きな女と30代の女がただただ書き連ねる練習広場

自惚れすぎず、適度に自惚れていきたい

自己肯定感。

非常に大切。健康的な自己肯定感。自分は駄目だとくよくよしないために必要だと思っています。

だけれど、自己肯定感が強すぎるとなんだか自分への評価が歪むような気がします。

何も成し遂げてないのに、自分を凄いものだと思ってしまったりするのって、世間との認識とか感覚がずれてしまうような感じがして怖いです。

 

 

私は、元気の無い時は『自分を最強だ』と思うようにしています。元気のなさを強い。と思うことで補填するためです。

これを元気な時まで『自分を最強だ』と思ってしまうと途端に勘違いヤローが生まれてしまいます。

元気がある状態で自分に自信がありすぎるとなんだか、偉そうになったり人を見下したりしがちになる気がします。あくまでも私の場合です。

 

 

 

自分のイメージの話なのですが、もし自分のことをすごい! 私はなんでもできる! と自信が無い時に気分を補填するために思うのはいいかもしれないけれど調子がいい時にまで自信をつけたままでいると、なんだか自己評価が高いだけになってしまうな。と思ったのです。

 

 

 

 

つまり、自己評価を高くするのであれば本物の自分もそこに近づけるように、成長なりなんなりしていかないと自分が認識している自分のイメージと周りから見るイメージにズレが出て来ることになると思うんです。

 

 

 

 

なんというか、いくら『私って最強なのよ!』と言っていたとして、もし何も成し遂げていなかったり何か認められるようなものがなければ周りはそうは思わないですよね。

自己暗示だと自覚している『自分最強』は意味があるかとおもうのですが、自分の感覚が麻痺してしまう『自分最強』は自分が見えなくなってしまうんだと少し怖くなりました。

できれば、自分が見えなくなるほどの自己陶酔は避けたいなと。

 

 

 

悲しいことですが、自分の印象や労働生産性などは雇われているのであれば他者がきめることです。色々なことを総括して、自分の今の総合的な評価は他人が決めるのかな。とふと朝思いました。

 

働けない間は誰にも評価されないので、気は楽だけど世間と切り離されてるようなそんな感覚がありました。(決して今働いていない方を下に見たり、気は楽でいいねなどと思っているわけではありません。)

 

今回言いたかったのは『自己愛が強すぎて自分が思うイメージと周りからの自分のイメージがズレたまま気づかないことは怖いのでは』と急に不安になってしまいました。という話。おしまい。

 

 

写真は本日の私です。ご確認ください。

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最近は眼鏡に戻してますよ。パソコン仕事はやっぱり眼鏡必須ですね。

 

 

すごい、読みづらいな。

勢いでバーって書くと。

 

すみません。最後まで読んでくださった方ありがとうございます。

 

私は今、原稿を入稿したので心置き無く爆睡します。やったぜ。

 

 

なんというか、なにごともバランスですね!大事!

 

BGMクリープハイプ谷口鮪/陽